少し暖かい。

雪は少し道端に残っているものの少し暖かくなった気がする。昔の知り合いから連絡があり、結婚することを告げられる。自分のことのように嬉しい。具体的にそうなるとは知らなかったが、いままでの右往左往してきた道のり*1を経て今に至るところを考えると、正直にそう思える。
友人や知人の動向を傍観してきた気もする。必要になった時には話に分け入って意見したこともあるのに、そのように感じる。結局は自分自身のことではないからだろうか。それなのに、友人から大きな変化があったことを告げられると自分のことのように思う。
自分自身の道のりが平坦で面白みのないものであるから、自分を友人に投影して疑似体験したかのように思い込んでいるのだ。傍観者であると感じるのは、そうなり得ない自分が居て、その自分を意識するからかもしれない。
平坦だ、面白みのない、ということを躊躇無く思えることは寂しい。今までの歩みに不足があるからか。果敢に山を登ることをしないで来たのかというと、そうは思わない。しかし、結果として平坦だと思えるのは、自ら考えを持ち、これをやりたいということに取り組んでこなかったからかもしれない。

老人医療の現場―明日の高齢者福祉を考える

老人医療の現場―明日の高齢者福祉を考える

筆者*2は幼いころに原爆体験をし、NHKで原爆・医療関連の番組制作にディレクターとして携わった経歴を持つ方だ。本書は平成3年のものだが、老人医療の現場を書いたものであり、現在も色あせない事実を中心に取り上げたものだ。患者を中心に、それを取巻く家族、医療関係者を、ヒアリング調査などを元に組み上げる。それに携わる人々の其々の視点が提供されており、老人医療を考える上で参考になる。

*1:このように書くと失礼かもしれないが。

*2:http://wadajournal.com/