社会人とはなにか。

もうすぐ春が訪れ、新「社会人」として、社会に出る方々も多くおられるだろう。そのような時、よく良く耳にする発言に次のようなものがある。「もう社会人なのだから、○○○して下さいよ。」、「社会人だから、○○してあげるよ。」など。自分自身は、こうした「社会人」になってからは随分「期間」が経つ気がする。この「社会人」とは何かを認識する「期間」という意味では。
さて、ではこの「社会人」とはどのような人を指すのか。社会的規範を守る人か。それとも、良くも悪くも社会的作法を身につけた人か。最近、「社会人」には「社会人モデル」(ホーソン実験*1で有名)というものがあることを知った。これは人間関係論として、合理的基準に基づいて行動する「経済人モデル」に対し、合理的行動だけでなく感情的行動もとるとする人のモデルを意味する。「経済人モデル」とは、似たような表現である「経営人モデル」との関連でしばしば説明される。「経営人モデル」とは、意思決定の中で現実的には、問題解決の代替案をすべて列挙することは不可能であり、このような制約された合理性のもとで行動している人を指す。これに対し、「経済人モデル」とは、制約されない合理性のもとで行動する人を指す。制約されない合理性とは、すなわち、完全な情報収集能力、情報処理能力を持ち、経済的合理性が極大化された基準のもとで行動することである。
すなわち、「社会人モデル」とは、職場での仕事に対する合理性と、同僚との良い関係を両立している人を指す。一方で、職場で働く人をモデル化するには、「社会人モデル」だけでは、不十分な点がある。それは、仕事に対する効率性が考慮された人間観ではないことだ。仕事にやりがいが無ければ、本末転倒である。この「社会人モデル」を補完するものとして研究され、世の中に登場したのが、モチベーション理論である。
「社会人」が、「社会人モデル」にある社会人であるとするならば、「社会人」であることは、職場の一員としては不十分である。「社会人」らしくあること以上に、モチベーションについてもしっかりと捕らえる必要があるのではないか。これこそが、働く人の観点からも、漏れなく捕らえられる必要のある人間の側面でなければならない。「社会人」とは何か。それは、不十分な人間観を指すものだ。

*1:エスタン・エレクトリック社のホーソン工場において、1927年から1932年にかけて行われた実験。この実験は労働条件、作業条件が労働者に与える影響を調査することを目的とした。結果、生産性に影響を与える要因は、作業集団内部における人間の相互関係であることがわかった。