呪縛と恋愛

生死をかける程の大恋愛をした経験がある人はどれほどいるのだろうか。個人的には、恋愛は思い込みのもたらすものだと信じている節があるため、そんなに熱することがもう何年も無い。大抵は別れが伴う恋愛はやがて冷めるのだろうから、ほどほどにしておいたほうが良いのではないかとも思う。相手が熱しているほど自分が冷めてしまうのもそのためかもしれない。一方で、周りが見えないほどの恋愛に落ちることほど不思議な現象はない。「女にうつつの逃す男はたいしたことはない。」とは言うが、その言葉どおりの現象がおきるからこのような言葉があるのだろう。一種の呪縛だ。ものすごい魅力を感じてそれにとり付かれることは、呪文に縛られているに等しい。また、呪文が解けないうちには、他の人の呪文にかかりにくいのかもしれない。そのためか、この呪文は恐ろしいもので、その人の人生を狂わす。世の中にはこのような呪縛にあっている人が多いのではないか。これは恋愛に限らず、思い込みという形で様々なところでその人自身の人生に強い力で作用する。ただ、恋愛の呪縛が一番強い。なぜなら、最もその人の生命が欲するものが恋愛なのだと思うからだ。恐ろしいものだが、それでも怖いものみたさに強烈な呪縛にあこがれるものなのかもしれない。人は悲愴なものだ。

川崎大師

学生時代の友人達等と川崎大師に行った。なんでも毎年来ているらしく自分は今年が初参加だった。先週突然誘いがきたため急でどういうメンバーかも気かないで行った。男性2名女性3名だったのだけど、かなり楽しかった。女性は歳をとるごとにさらに良く話すものなのかと、勝手に結論付けてしまっているところはよくないけど、それはそれで楽しい。京急川崎大師駅を出ると参道になっており、10分程度歩くと平間寺がある。この寺のことが川崎大師と呼ばれているようだ。大師は天皇に任命権があり、歴史上大師となった高僧は数えるほどしかいない。一般に大師と言えば弘法大師を指すようだ。この寺も弘法大師高野山金剛峰寺を本山にする密教の寺だ。そのためか、本堂内部にはきらびやかな装飾があった。密教の場合曼荼羅を崇拝するものかという先入観があったのだが、この寺には本尊(弘法大師)があり、それに大してお経?が唱えられていた。
祈願にあたっては御札を購入することになっている。申し込み券に記入しお布施額(5,000円から30,000円ぐらいまで)を選択し、祈願の内容を一つだけ選択する。有名な厄除けを初め、様々な選択肢があるなかで、病気治癒に関するものを選択した。その後、支払いを行い、御札の引換券をもらい、先ほどの本堂にあがる。本堂では一日に数回、決まった時間からお経がはじまる仕組みになっており、15分程度お経を聞いた後、本尊等を拝んで御札の引換所に行く。御札は赤・白に分かれており、それぞれ引換所が分かれている。引換所はいうなれば競馬場の券の販売場のように、たくさんの窓口がある。50音順に列(名字があ行、か行・・・)があり、そこにならんで御札をもらう。御札には先ほどの引換券に書き込んだ祈願の内容と自分の名前が記載されていた。これが一連の内容なのだが、はじめてであったため、新鮮だった。山門横には昨年の御札を納める場所もあり、これは、よく行く春日大社の絵馬の納め所に似たものだった。
それにしても人が多かった。参道には出店もあり、とてもにぎやかだった。飴を実演販売しているところがあり、とんとんと包丁で延ばされた飴を刻む音が通りに響く。鳴り止まないのでスピーカーから録音したものを流しているのかとおもったが、飴をきっていないときも、職人が板を包丁の柄の方でたたいて音を鳴らしていた。少し寒いが正月に行くよりもまだましなのだろうと思いながら帰路についた。

助走無し

1月2日の午後に新幹線で京都から東京まで。指定席は満席なので数本やり過ごすことも考えたが、早く東京に帰りたいのでのぞみの自由席へ。案の定座れなかった。名古屋で空くかと思ったがさらに混んだ。午後の東海道を地上最速の新幹線で駆け抜ける。何度この光景をみたことだろうか。浜松付近に差し掛かると太平洋が見える。景色もそうだが、Uターンの車内は通路に立つ人や家族連れなどでごったがえす。仲良く向かい合って撮った写真に一緒にみいる家族もあれば3列シートに親子3人で無言で着席している風景もある。窓際に母、真ん中に疲れてぐったりとした男の子。通路側の席にぐったりとした父。母はつんとした感じだが、前列のうるさい客に顔をしかめている。前列は20代前半のアイシャドーを濃くした女性ふたりに、10代の少年。窓際に座った少年と真ん中の席のややほっそりとした女性が大声で任天堂DSの対戦をしている。時折、この女性が吸う煙草の煙が後席にながれる度に、母親は自分の膝に膝枕した息子に煙がかからないようにハンカチで空気を仰ぐ。「ざけんな、うぜー」と大声をあげる全席の女性。この喫煙車の乗客みんなが驚いたように、この女性の方を観る。ゲームをしているなんてわからないだろうから、何事かということだろう。通路に立っている人々は本を読むなり外をみるなり、壁によりかかったりしている。新幹線は三島を通過する。何度かトンネルを過ぎれば次は熱海だ。東京発の在来線の終着駅が熱海であることもあるから、そろそろ首都圏が近いと感じる。暇だから三島から一連のトンネルが終わる小田原までトンネルの数を数えたら18程度あった。新横浜に到着してからは、すぐに品川、そして東京。降りる用意は新横浜を過ぎたあたりから本格的になる。ぐっすり寝れた人は目をこすりながら、お菓子を食い散らかした人はそのあとしまつ。ずっと立っていた人はいままでと違う姿勢になる。正月ほど短期間に大勢の人が日本を移動することはないかもしれない。非日常であるけど日常がもちこまれざるを得ない。2時間超の同居とともに様々な生活の在り様を見た。他人の起伏のある生活が魅力的に見えたりする。

DESIRE

DESIRE

1976年の作品で、個人的に聴いたBob Dylanの作品の中では現時点で最も新しい。力強く繰り返し良く聴いている。メロディーも美しく、「歌っている」ように思える。推薦。

雨と道後公園

また松山に行った。12/30に砥部焼きで有名な砥部動物園にいったのだが休みだったため道後公園に行った。湯築(ゆずき)城址であり、以前の武家屋敷が一部復元されている。付いたころには雨が激しくふってきた。武家屋敷で雨宿りとおもったのだけど、中には入れなかった。散々であったが大通りに目をやると石畳に路面電車の線路が濡れて一層映え、寒さを芯から感じた。道後公園ははじめてだった。

ぐるりのこと。 [DVD]

ぐるりのこと。 [DVD]

橋口監督の「ハッシュ」はかなり面白かったが、本作は全く話の内容は違うもののすばらしい内容だった。寺島進はすごい俳優だ。コミカルな部分も良い。推奨。
歩いても歩いても [DVD]

歩いても歩いても [DVD]

若くして水死した兄をもつ、夫に先立たれた女性と一緒になった弟。あまり無いかもしれないが、実際には在るのであろう設定のなかで自然体で描かれる作品。これも傑作。推奨。
介護予防のねらいと戦略

介護予防のねらいと戦略

介護予防は高齢者が立てた目標を実現すべくそれを支援するものだということ。本書では後半で介護のみならず医療における予防についても自論が展開される。面白いところは2点だ。第1に、煙草や食生活の偏りなど生活習慣が悪ければ確かに寿命は縮まるがそれは健康な人に比べて1年程度だということ。もっとも大きな違いは医療費がかかる(体のメンテナンスにお金がかかる)ということ。第2に個人が立てた目標を実現するためには個人別の予防プログラムが必要であること、また目標自体も千差万別であることからその設定は難しく、このようなことを実施する気になる人は稀であり、理想論の域を出ていないといこと。根拠に基づき説明があるが、その終着点は実現することが難しいもの。こうしたい像は明確にあれど、そこにたどり着けない。本書の内容と相反する結びであることにその問題の重さを感じる。筆者の投げかけだろうか。高齢者福祉関係の方に推奨。

人心を惑わす

「人心を惑わす」とは良い意味では用いない。本来、心が乱れることなく穏やかにすごせるはずなのだが、穏やかならない状況にさせられることだ。穏やかならぬ心をいかに静めるか。その時々の話にいかに冷静に対応できるかが重要であることは、それがもたらす結果のためである。最善の対応をとるには冷静になるべきだ。我慢ならないときに言うことができるのは大切なことではあるが、そのタイミングも大切である。第三者からみてどうなのかと考えてみれば、冷静であることの定義が見えてくる気がする。

利根川にかかる橋

久しぶりに茨城に行った。友人の新居を見に行った。帰りは国道6号を南下し友人を守屋でおろしてからまた国道6号を南下した。取手-柏間は利根川にかかる大きな橋を渡る。午前12時過ぎに橋を渡ったのだが、取手方面からながめると片道2車線の橋は車がまばら。オレンジの街頭に両脇から照らされ薄くもやのかかっていた。川は暗く見えないため、薄明るくオレンジに照らされた長く直線に見える橋は、昼間の混雑に比べて不思議と静かだった。
この橋は戦後ヤミ米の運搬を取り締まる目的で検問所があったときいたことがある。首都圏と結ぶ大動脈であり歴史のある橋だ。そういえば自分も何年も前に家財道具を車に詰めこんで強風の荒れるこの橋を南下したことを思い出した。就職のための引越しだったのだが、個人的にも思い入れの在る橋だ。
国道6号は水戸街道と呼ばれる。地元の人には六国*1と呼ばれ親しまれている。自分も例外ではない。

*1:"ろっこく"と発音

鉱泉

今日は久しぶりに那須湯本温泉に行こうと思い立ち、車を走らせたけど、渋滞がひどく引き返した。代わり?に地元の銭湯にいってみた。
自分が住む船橋近辺には鉱泉を扱う銭湯が多い。この鉱泉は、温泉とは異なる。摂氏25度以上で基準*1に見合った成分を含むものを温泉という。基準を満たないものは鉱泉などと呼ばれれいる。船橋には温泉そのものあるのだけれど、行った事のない銭湯に挑戦した。
行ったのは家から自転車で15分のところにある「紅梅湯」だ。湯船もシャワー・カランもすべて鉱泉と聞いていたので相当に期待していた。行ってみると実際にそうで、蛇口からは少し黄色くにごった湯がでてきた。湯船はさらに黒ずんで見える色で、ジャグジータイプとそうでないものの2種類があった。体の芯まで温まるお湯でとてもよかった。あまり込んでいなかったため、かなりゆっくりできた。
銭湯は公定価格(400円程度)で入れる。スーパー銭湯日帰り温泉に比べると安い。また、行こうと思った。

*1:温泉法別表に規定される