体調が良い

暇にしているからだろうか。
仕事も9時間程度、睡眠も7時間。食事も魚ばかり食べている。暇といえば、職場を移ってから仕事が少ない。能動的にやらなければならないのだけど、少し様子見している。変化に対応するのが厳しい年頃になったと思う。体調が良いのは、端に気候が良くなりすごしやすくなったからかもしれない。

生活習慣病を防ぐ―健康寿命をめざして (岩波新書)

生活習慣病を防ぐ―健康寿命をめざして (岩波新書)

日常の栄養摂取の観点からテーラーメード医療に至るまで書かれている。今年4月にはじまった特定健診・特定保健指導は、「高齢者の医療の確保に関する法律」の改定に伴うものだ。実は同様に老人保健法とセットで市町村の基本健康診査や2次予防としてのがん検診が始められたことを知った。また、特定健診等の前に進められた健康日本21が、実は米国のヘルシーピープル2000を模倣したものだということまで書いてある。(正確には模倣とまでは書かれていないが。)政策的な観点から、病理学的観点にいたるまで、筆者のものすごい量の見識に圧倒される。生活習慣病の観点から個人がどうすべきか、集団がどうするべきかを示唆する。
すばらしい作品なのだけど、反論も。生活習慣病をキリギリスが罹患するもの*1とし、これらの人と予防に取組んだ人々を一緒にして、まじめに取組んだ人々がキリギリスに手を差し伸べる日本の保険制度は問題だとしている。そして、アメリカの民間保険会社を例に、保険料率を生活習慣病のリスク数などに依存したものとしてはどうかとしている。個人的にはこれには反対だ。筆者も述べているとおり、日本人の600万人程度は生活習慣病に罹患し、その内の300万人程度しか医療機関を受診していない状況である。また、3000万人程度はその予備軍であるとしているのだから、全体で1億数千万人しかいない中でこれをやると、貧しい人々の保険料を比較的高くせざるを得ない状況になる。また、保険は生活習慣病のみならず他の疾病も、給付対象になる。疾病別保険などがあればよいのだが、医療の性格上、いつ発症するかわからないものを補償するものであるから、そうはできないだろう。日本の民間保険である第三の保険(がん保険など)は、疾病に限定するものであるから、全く性格のことなるものだ。批判はそこそこに、じゃあどうするのということについては非常に難しい。筆者が例示しているスウェーデン型に「医療は福祉」として国が個人の贅沢病に責任を持つのかというと、これも変だ。イギリスは歯科診療については子供は保険対象とするが、大人は対象としない。これは毎日の歯磨きを怠っているのは本人の怠慢によるものとしているため、相互制度である保険の対象外としているのだ。疾病別に保険の自己負担金を変える方策はどうだろうか。生活習慣病になると、病院でお金がかかる!という印象をあたえることによって、少しは自己の健康管理に気を配るようになるのではないか。まあ、難しいけど。
付け加えると、アメリカは民間保険会社が加入者の「疾病管理」を行い、指導に従わなければ保険料の値上げや保険の解約を行うそうだ。これで保険の財政状況はよくなったようだ。一方で、保険会社がこのような政策をとると、クリームスキミング(保険加入拒否)が起こっているのではないか、また、そもそも欧米人は日本人に対して人種の特性の違いがあり、深刻な糖尿病等に罹患しにくいためにすぐに結果が出ているのではないかと思える。本書では日本人(アジア人)は飢餓で淘汰された人種とし、欧米人に比べ燃費が良い(一日の摂取カロリーが百数十カロリー少なくてよい。)としている。一方で、贅沢病に対しては、”そんなことはいままでになかった”とばかりに、罹患し易いらしい。これも興味深かった。このような観点からも、他国の「まね」を安易にしていては、さらに保険財政全体の破綻が早まる恐れがあるとも思える。

*1:著者は、生活習慣病の一次予防に取組む人と、ほうっておいて罹患した人を、アリとキリギリス例えている。